草月会館のご案内

国際的なアーティスト、イサム・ノグチの傑作、石庭『天国』。世界中に残されたイサムの作品の中でも、特に秀でたものの一つで、アートスポットとしても知られています。展覧会場・各種イベント会場としてもご利用いただけます。お問い合せは までどうぞ。

天国 イサム・ノグチ作

天国 イサム・ノグチ作

草月とイサム・ノグチ

~ 産経新聞 1989年1月26日 「空間を演出した“現代の利休”」勅使河原宏より抜粋 ~
イサムさんとは父・蒼風と私と親子二代にわたって親しくさせていただいた。あるとき父にこういったという。―「蒼風さん、松を生けて松にみえちゃ駄目でしょうね。」このイサムさんの言葉を父はとても大事にしていた。松という素材が作品化したとき、もう松という固有のものを消化しなくてはならないというイサムさんなりのいけばな論なのだろう。私も好きな言葉である。
幅広くものの見える人、いつも全体を見据えていける人だった。いまでいう環境芸術家のさきがけだった。二年前、京都賞を受賞されたとき、現地で行われたシンポジウムに私も応援に駆けつけて、イサム・ノグチを現代の利休にたとえたことがある。千利休も全体の演出が出来る人だった。全てが彼の演出になる空間の中に人々を招びこみ、そこで最高のもてなしをした。芸術と人との繋がりは、芸術が高い次元で人をもてなすことに帰着すると思う。二十世紀にあって都会的な居心地のいい空間を創出したイサムさんは、どこかで利休とつながっていると私なりに解釈している。イサムさんにとっても利休はたいへん気になる存在だったらしい。
イサムさんの近年の石の彫刻をみていると、石の持つ美しさを生かしつつ、自分の意志は最小限に加えるだけにとどめている。「宏さん、これらの作品群は、自然(石)の許してくれた過ちですよ」と、高松のアトリエを案内してくれながら、もらしたものだ。
自分は石を傷つけている。なのに石は許してくれている・・・。そのとき芸術家と自然は一体化したのだろう。自己の芸術感を謙虚に、しかし決然と表明してくれた、これもすごい言葉だ。晩年のイサムさんは、この高みに達していた。先程の松のたとえといい、日本語の表現が完全だとはいえないだけに、考え抜かれたことが、枝葉を払って口をついて出たときにその言葉は光彩を放って聴くものの心を貫く。
イサムさんは私どもの草月会館にすばらしいモニュメントを遺してくれた。一、二階吹き抜けのプラザ「花と石と水」。丹下(健三)さんの設計で建設工事も七割方進んでいたところ、プラザをイサムさんにお願いしたらと父が言い出したのを丹下さんが快諾してくださり実現したものだ。父がいっさい注文をつけずにお任せしたのを、イサムさんもとても喜んで、思う存分の仕事をしてくださった。(後略)

イサム・ノグチとプラザ

1977年、勅使河原蒼風の依頼で、草月会館(東京)に「花と石と水の広場」≪天国≫を手掛ける(78年完成)。1981年には、イサムノグチ・勅使河原宏 2人展、1984年(80歳)には、80歳記念に<あかり>を展示。現在に至るまでいけばなや美術の展覧会を始め、数々のアーティストが創造的な作品を発表し続けている場でもある。






草月会館入口にそびえるイサム・ノグチ作の石彫(花崗岩)1977年
外部リンク:イサム・ノグチ庭園美術館

イサム・ノグチ作の石彫(花崗岩)1977年


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