タカ・イシイギャラリーの企画で、アーティストのケリス・ウィン・エヴァンス氏と勅使河原茜家元の間で交わされた往復書簡が、「FUN PALACE」の記事として公開されました。
ぜひご覧ください。

ケリス・ウィン・エヴァンス氏は、過去に草月プラザにてインスタレーション展示を行ったことも記憶に新しい親交のあるアーティスト。
7つの質問を軸に、二人の間で交わされる詩的なやり取りをお楽しみください。

序文より

いけばな草月流家元への7の質問
ケリス・ウィン・エヴァンスから勅使河原茜へ

初代家元・勅使河原蒼風がいけばなを造形芸術としてとらえ、「個性」を尊重した自由な表現を求めたことから、1927年、草月のいけばなは創流されました。蒼風は中山文甫、小原豊雲らとともに「前衛いけばな運動」を主導し、いけばなの革新を唱えた人物としても知られています。「いけばなは絵だという、音楽でも、彫刻でもある」*と述べた蒼風は、固定されたいけばなの型を破壊し、石、金属、陶器、コンクリート、廃品などをいけばなに大胆にとりいれ、1950-70年代にかけて欧米各地で展覧会やデモンストレーションを精力的に行い、いけばなの革命者として国際的な評価を高めました。 国外ではミシェル・タピエやアンフォルメルの画家達、ミロ、ダリ、ウォーホール、国内では実験工房、具体美術協会などとの幅広い交流をおこない、拠点となる草月会館(丹下健三設計)を1958年東京・赤坂に設立しました。
蒼風の息子、のちに第三代家元となる勅使河原宏は、この草月会館に伴って発足した草月アートセンターのディレクターに就任し、アーティストによる自発的な発表と交流の場を展開しました。宏は前衛の領域を横断的に広げ、音楽、演劇、映画、パフォーマンス、アニメーション等のイベントを同時多発的に開催することで、草月アートセンターを日本の前衛を推進する一大拠点につくりあげました。ケージの招聘とその演奏会「ジョン・ケージ、デイビッド・テュードア演奏会のイベント」(1962年)、オノ・ヨーコによるハプニング「カットピース」(「小野洋子さよなら演奏会」、1964年)、ロバート・ラウシェンバーグが公開制作を行った「ローシェンバーグへの公開質問会」(1964年)、「マース・カニングハム・ダンス・カンパニー来日公演」(1964年)は当時の日本に大きな衝撃と影響をもたらし、各分野への起爆剤となりました。
蒼風の孫にあたる第四代家元、勅使河原茜は、「自分が解き放たれるもの」といけばなを語り、いける人の個性と自由な表現を花に託す草月の伝統を引き継ぎながら、いけていく過程をパフォーマンスとして見せる制作の発表や、狂言やコンテンポラリー・ダンスの舞台美術を手掛けるなど、「場にいける」「場を共有する」ことを主軸とする作品制作を精力的に行っています。また、コロナ禍でいけばなを発表するために集まることが困難な状況のなか、枯れもの(野や山で自然に乾燥した木の枝,果実,種のさやなど)、着色素材、石、鉄材などの異質素材を使って水を使わずにいけばなをいける、より踏み込んだ実験的な展覧会も発表されています。
草月流のいけばなを敬愛する美術作家ケリス・ウィン・エヴァンスが、勅使河原茜家元にいくつかの質問を投げかけました。

*注:勅使河原蒼風『草月五十則』第31則 草月文化事業出版部 2004年11月刊

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